煩悩が108なのはなぜ?除夜の鐘も数珠も108!でも本当は意味がない?
2016/12/20
「明日ママがいない」って、テレビでご覧になっていらっしゃいましたか?
この中で、魔王が、
「あと何人で108人になる。あと何人で俺自由になれる」
と言うセリフがありました。
なんで「108」なんでしょうか?
見て行きましょう。
煩悩が108なのはなぜ?
冒頭の「明日ママがいない」では、ドンキが魔王に「この前言っていた108人って?」と尋ねると、魔王は「108は人間の煩悩の数だ」と答えます。
つまり「108」は煩悩の数ということですが、これはどういうことでしょうか?
そもそも煩悩とは?
「煩悩」とは仏教の用語です。
「煩悩」は、「煩」と「悩」から出来ていますよね。
「煩」は、「わずらわしい」という意味で、「悩」は、「なやみ」のことです。
つまり、煩悩とは、わずらわしく、悩みになることだ、ということになります。
仏教では、修行者にとっての女性の美しさなどは、修行の妨げとなる「迷い」のもとだということになります。
つまり広い意味での「欲望」が、修行の妨げとなる「煩悩」とされるのですが、煩悩というのは、多くの方の日常生活から見ると自然なことです。
本来の仏教の教えに基づくと、「煩悩」は、たいへん厳しい覚りの道において乗り越えなければならない誘惑や欲望なのですが、「煩悩すなわち仏」というような考えもあるように、人間は自然に振るまい、自然に生きるのがやはり一番であるということでもあります。
都合のいいように解釈すれば、煩悩だと分かっていて、度を超さなければ、「欲望」を抑える必要はないことになります。
修行僧に以外の一般人には、煩悩は楽しいことなのです。
煩悩の数が108になる理由
まず、人間の感覚を司るもとして次の「六根」と呼ばれるものがあります。
- 眼(げん)
- 耳(じ)
- 鼻(び)
- 舌(ぜつ)
- 身(しん)
- 意(い)
これらが、それぞれ、
- 好(気持ちがよい)
- 悪(不快)
- 平(どちらでもない)
の3種類があって、6×3=18 の煩悩となります。
さらにこの18の煩悩が、
- 浄(きれい)
- 染(きたない)
の2種類に分かれ、18×2=36 の煩悩になります。
最後に、この36 の煩悩に、過去、現在、未来の3つの時間が関わって、
36×3=108
となり、これが、108 の煩悩だということです。
しかし、この108になる考え方も次のとおり諸説あります。
四苦八苦を取り払うということで語呂合わせで、108になる説
4×9+8×9=36+72=108
月の数(12)、二十四節気の数(24)七十二候の数(72)を足した数で108となる説
12+24+72=108
なお、この説では煩悩は関係なくなります。
倶舎論でいう九十八随眠(ずいめん:修行で消しうる煩悩)に十纏(じってん:枝末煩悩のうちでも重いとされるもの)を加える説
98+10=108
その他にも煩悩の分け方の違いで、最終的に108になるという説も複数存在します。
面白いですね。
除夜の鐘も数珠も108
除夜の鐘
除夜とは、年越し、つまり大晦日の夜のことで、年があらたまりことに伴って様々な、特に宗教的な意味合いの強い行事が行われます。
除夜の鐘は、ときに「百八煩悩の鐘」とも言われ、人間の108の煩悩を、鐘で贖罪するという意味あいがあります。
神社でも同じような意味合いで人形(ひとがた)に託して罪穢を流す大祓(おおはらえ)が行われます。
除夜の鐘は午前零時前後につかれ、お寺によっては、最後の108つめの鐘だけ、新年になるように調節してついているところもあるそうです。。
数珠
「本連数珠」や「二輪(ふたわ)数珠」といわれる正式な数珠は、108 の珠で造られています。
珠1つずつが108 の煩悩を司る仏様であり、人間のあらゆる煩悩を数珠が引き受けてくれると言われています。
現在においては珠数の制限はなくなりつつあり、一般的には珠の数を減らした略式の数珠が多く使われています。
男性は大きい珠の数珠を、女性は小さい珠の数珠を使うのが一般的です。
その他
野球のボールの縫い目も108です。
アメリカで最初に作られたボールの縫い目は116だったようです。
後にアメリカ製のボールの縫い目が108個になり、日本もこれに倣ったということのようです。
日本では、水野利八氏(スポーツ用品メーカー「美津濃」の創始者)が、「ボールの規格の統一とバウンド基準の制定」を提唱し、実験を重ね多結果、公式ボールは「108個の縫い目と、13フィート6インチの高さから大理石の上に自然落下させて4フィート6インチまで跳ね返るボール」とする全国統一の標準規格の礎を築いたと言われています。
で、除夜の鐘との関連ですが、結論から言うと、ワタシは偶然ではないかと思います。
108個としたのは、標準規格を定めるために度重なる実験を繰り返す中で見つけた最適の数で、まず「煩悩」の108があったとは考えにくいです。
でも、いろいろなものを突き詰めていった結果、同じ数字になるというのは興味深いですね。
煩悩が108なのは本当は意味がないの?
今まで一緒に見てきた煩悩の数「108」ですが、実は108のいわれは諸説あって、すべて俗説ではないかとも言われています。
元々、古代インドでは、108 やその他大きい数字は「とても多い」という意味を表す使い方をされています。
つまり、108の煩悩とは、煩悩がたくさんありますという意味合いで、その数字自体にはあまり意味がないとも考えられます。
同じく仏教には「八万四千の煩悩」という言葉もあります。
これは、もちろん、84,000という数ではなく、「大変多い」という意味になります。
でも、なぜ「八万四千」なのかは良く分かっていません。
まとめ
おそらく「煩悩」は108ではなく、無限にあるものなのではないでしょうか?
それをわかりやすくするために、決して小さくない数字で分かりやすくして、いつどこでも煩悩に惑わされることがあるやも知れないので、常に自戒しながら人生を楽しみましょうという、ご先祖様のメッセージではないかと、ワタシはいいように解釈しています。
除夜の鐘が話題になったら、今年も残りあとわずかという証拠です。
今年一年を振り返って、「できたこと」「できなかったこと」を思い起こされている方も多いことでしょう。
やり切った感のある方も、不全感のある方も、その経験や反省点を生かして、新しい年につなげていきたいものですね。
■ おすすめトピック ■