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恵方巻はいつから始まったの?関東では?お答えします

      2017/12/21

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いつの間にかすっかり定着した「恵方巻」。

ワタシは東京出身ですが、小さいころには「恵方巻」なんてありませんでした。

恵方巻は関西がルーツのようですが、いつから始まったのでしょうか。

また、関東地方ではいつ頃から始まったのでしょうか。

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恵方巻とはどういうもの?

恵方巻きとは、節分にその年の「恵方」を向いて食べると縁起が良いとされる太巻きのことで、丸かぶり寿司、恵方寿司などとも呼ばれます。

「恵方」とは、陰陽道でその年の干支によって定められた最も良いとされる方角で、その方向に歳徳神(としとくじん)がいると言われます。

その恵方に向かって巻き寿司を食べることから、「恵方巻き」や「恵方寿司」と呼ばれるようになったのです。

恵方巻きは、目を閉じて願い事を思い浮かべながら、恵方に向かって無言で一本丸ごと食べることになっています。

切らずに丸ごと一本を食べるのには、「縁を切らない」という意味が込められているそうです。

また、七福神にちなんで、かんぴょうやきゅうりなど七種類の具材が入れられ、「福を巻き込む」という願いも込められています。

なお、節分については

節分の由来と意味は?なぜ豆まきをしたり、年の数だけ豆を食べるの?

をご覧くださいね。

恵方巻はいつから始まったの?

恵方巻きの起源は、江戸時代末期、大坂の船場で商売繁盛の祈願をする風習として始まったもの言われていますが、諸説があり、正確な起源は良く分かっていません。

この風習はいっとき廃れたようですが、1970年代後半に大阪海苔問屋協同組合が道頓堀で行ったイベントによって復活し、その後、関西地方では一般的な風習となりました。

起源については、

  • 花柳界で行われていた風習が一般に広まった
  • 豊臣秀吉の家臣が節分の前日に海苔巻きのような物を食べて出陣し、戦いに勝利した
  • 老若男女が集まり、みんなで巻寿司を食べる際に、切る手間を省くために一本丸かぶりをした

などなど、諸説あるようです。

恵方巻に関する裁判

唯一、公的なものとして、「節分の丸かぶり巻寿司商標権侵害事件」(H22.1.22:大阪高裁)の判決文の中で、歴史的な経緯に関することが述べられています。

この事件は、「招福巻」の登録商標を有する原告が、スーパー「ジャスコ」を全国展開するイオン(被告)に対して、ジャスコ各店舗で節分用に販売した巻き寿司の包装に「十二単の招福巻」という商品名を付けるなどしたイオンの行為が原告の商標権を侵害するとして差止め等を求めるとともに、民法709条に基づき損害賠償(2,300万円及び遅延損害金)を請求したという事案です。

大阪地裁の判決は、原告請求の差止めや損害賠償(認容額 514,825円と遅延損害金)を認めましたが、大阪高等は、一審判決を覆して、原告の請求を棄却しました。

これに対し原告が上告していましたが、最高裁(第3小法廷)が上告不受理の決定をし、原告の敗訴、被告のイオンの勝訴が確定しました(H22.10.29)。

 豆まきのほか、節分の日に巻き寿司を食するようになった起源は定かではないが、昭和7年に大阪鮓商組合後援会が得意先向けに作成した「巻寿司と福の神」と題するビラに、花柳界で行われていた風習が一般に広まった旨の記載があるほか、大阪府すし商環境衛生同業組合平成2年発行のビラに、
「江戸時代の末期若しくは明治の始め頃から大阪の中心地、船場が発祥地とされております。商売繁盛、無病息災、家内円満を願ったのが事の始りです。」
と記載がある。
 その後、大阪を中心に
「節分の日にその年の恵方に向いて無言で壱本の巻寿司を丸かぶりすれば其年は幸運に恵まれる」
と言い伝えられ、遅くとも昭和7年ころには大阪の一部地域において、節分に恵方を向いて巻き寿司を丸かぶりする風習が行われるようになった。

 昭和7年には、大阪鮓商組合後援会が節分に恵方を向いて巻き寿司を丸かぶりすれば幸運に恵まれるとするビラを発行し、その中で、その由来を紹介するとともに、これに用いる「幸運巻寿司」なる巻き寿司の販売を宣伝している。
大阪鮓商組合後援会は昭和15年ころにも、これと同様の宣伝ビラを発行していた。
 その後、時を経て昭和52年ころ、大阪海苔問屋協同組合が「幸運巻ずし」と銘打って節分に巻き寿司を丸かぶりすることを勧める宣伝活動を始め、また、関西厚焼工業組合も同じころから広範囲で同様の宣伝活動を行うようになり、昭和62年ころには、関西地方のみならず、岐阜、浜松、金沢、新潟等の各都市や九州地方にまで上記同様の宣伝ビラを送付していた。
 その後、スーパーマーケットなどでも宣伝を行うようになり、節分に恵方を向いて巻き寿司を食する風習が関西地方を中心に次第に広い地域に広がっていった。
 なお、インターネットサイトには、
「節分に巻き寿司を食べる風習は、福を巻き込むという意味と、縁を切らないという意味が込められ、恵方(えほう)に向かって巻き寿司を丸かぶりするようになった。節分に巻き寿司を食べる風習は、主に関西地方で行われていたものだが、大阪海苔問屋協同組合が道頓堀で行った「巻き寿司のまるかぶり」の行事をマスコミが取り上げ、それを見た全国の食品メーカーが便乗し全国へ広まっていった。(語源由来辞典より)」
との記載がある。

 株式会社汐文社2006年2月第1刷発行の「日本の伝統文化・芸能事典」)には、
「節分【せつぶん】悪疫退散や招福の行事」として「太巻きを丸かじり節分の日に〈福を巻きこむ〉太巻き寿司を、恵方をむいて無言で丸かじりすると、一年間健康で(いら)れるといわれています。」
と記載され、株式会社主婦の友社編著平成13年3月1日第1刷発行の「冠婚葬祭実用大事典」)にも、節分に係る風習の一つとして、「●恵方に向いて太巻きずしをかじる福を呼ぶというもの。」と紹介されている。

(中略)

 以上によれば、節分に恵方を向いて巻き寿司を丸かぶりする風習は遅くとも昭和7年の段階で少なくとも大阪の一部地域で行われていたものであり、大阪の巻き寿司関連業界の宣伝活動によって次第に広がり、昭和の終わりころには、大阪以外の関西地方、さらには関西地方以外の地域にも広がり、近年は、全国の一般家庭向けの冠婚葬祭事典にも紹介される等、さらに広範囲に広がりつつあるということができる。

『::::弁護士 川村哲二::::〈覚え書き〉::::』「恵方巻」控訴審判決と巻寿司丸かぶりの風習の由来(大阪高裁)より引用

【URL】http://stuvwxyz.cocolog-nifty.com/blog/2010/02/post-daa1.html

でも、裁判の判決でこのような話になるなんて、オモシロイですね。


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関東ではいつから始まったの?

関西地方では1980年台には一般的な風習として広まっていったようですが、もともとのきっかけは、土用の丑の日に鰻を食べる習慣に対抗するものとして、関西の関係団体が販促活動を開始したことによります。

1977年には、大阪海苔問屋協同組合が「幸運巻ずし」と銘打って節分に巻き寿司を丸かぶりすることを勧める宣伝活動を始め、10年後の1987年には、関西厚焼工業組合が広範囲で宣伝活動を行うようになり、関西地方だけでなく、岐阜、浜松、金沢、新潟等の各都市や九州地方にまで宣伝ビラを送付しました。

そうした地道な活動が実を結び、1990年代前半には一部のスーパー、1990年代後半には一部のコンビニで全国販売されるようになりました。

そして、2003年~2004年には全国のスーパー・コンビニで販売され、大きく宣伝されたことから、節分に恵方巻きを食べる風習は急速に全国へ広まっていったのです。

東京をはじめとする関東地方で一般的に広まったのは、この2003年以降だと思われます。

そして、「恵方巻」の名付け親で、全国展開を確実なものとしたのは、セブンイレブンだと言われています。

1989年に、広島県内のセブンイレブン一部店舗で、丸かぶりする「巻寿司」が縁起の良い節分の風習として紹介されました。

加盟店のオーナーが大阪出身で、「大阪では節分に巻きずしを丸かぶりして幸運を祈る風習がある」とエリアマネージャーに話したのがきっかけで、このプロモーションが行われたようです。

「恵方巻」の商品名で全国的に売られ始めたのも、これが始まりです。

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まとめ

節分の日に食べる恵方巻きは、干支によって定められた最も良いとされる方角である「恵方」を見ながら黙って食べると縁起が良いとされています。

その方角は毎年変わるのですが、2018年は南南東の方角になります。

細かく言うと「南南東やや南」を向いて食べることになります。

ワタシのオススメの恵方巻はこちらです。

ちなみに、2018年の節分は2月3日の土曜日ですので忘れないようにしてくださいね。


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